母は、育つ際の自分の不満を、よく私に言っていました。

最近ではお誕生日を祝う事は、当然の様になってきたのではないでしょうか。
私が幼い頃は、特別お誕生日のお祝いの事は思い出にないのです。

記憶が下手であるから、お祝いの事を覚えていないのかも知れません。

現在はものはお金さえ出せば、なんでも買う事が出来ます。
私が子供の頃は百貨店はありましたが、スーパーマーケットが家から離れた所にやっと一軒だけあったと記憶しています。

そんな時代ですからお誕生日も、それぞれに祝わなかった様に思えるのです。
時代がみんなが貧乏的な、感覚もありました。

我が家も決して裕福ではなかったけれど、母は女の子である私には洋服も色々と着させてくれました。

母は結婚してから習った編み物をつくり、母手作りのカーディガンは今もはっきりと柄を覚えています。
また洋裁の習い事も時代がら出来なかったので、近所の人に型紙をお金をだして作ってもらって私にワンピースを作ってくれました。

とにかく私は着せ替え人形の様に、有り難く感じるものでした。
「お母さん、有難う」今はもういないお母さんに言いたいのです。
母は、育つ際の自分の事を、下着や洋服への不満も私によく言っていました。

愛しているという言葉を頻繁に使うのは胡散臭い

愛しているなんて、どうも胡散臭い言葉だと思う。そこは英語とのギャップがありすぎてI Love Youといって不自然でない英語圏との違いかな。
なにしろ手紙で知らない人にそういった言葉を使うことからまあ違うんだろう。
気軽に使う言葉から本当に好きな場合に使うときのI Love You は同じようだし、日本語にしたら大好きというのが違い概念か。と思う。
日本で言う愛といったらどちらかといったもっと大きな愛で、決して色恋の類と違うわけである。多分若いころの愛というのは勘違いだしそういうのは恋だったりする。
齢をとってからの愛というのは多分に責任があるといった感じか…。もちろん、だからこそ大抵使う場合はうさん臭くなる可能性が高い。
もっと言えば、愛とは宗教上の神とか仏(自分が信じているわけではない)に使うものだと薄っすら思っている人もいるようだ。
もちろん、これらは個人差があるかもしれないし、しょっちゅう愛してるよと言っている人を非難するわけではないが…。

今年のヤクルトスワローズに対する期待について

昨年のヤクルトスワローズは記録的な大敗をしましたが、今年においては去年よりは大いに期待が持てる要素が多いです。
何よりも広島からの石井コーチの加入で走塁の意識が高まりました。そして川端、畠山といった実績のある打者が復帰することによって
打線に期待が持てます。まして青木の復帰も非常に大きいです。何がともあれ、打線においては去年よりは大いに期待値は高いです。
確かに去年は負けすぎましたが、近年において2年連続最下位から優勝したという実績もあるので、潜在能力はそれなりにあると思います。
攻撃においては打つだけでなく、走ることも石井コーチによって教育されていることを考えると得点能力はかなり期待できるでしょう。
攻撃陣に比べると投手陣においては不安材料はそれなりにあります。それでもライアン小川の早期復帰と2015年のようにリリーフ陣を確立すれば
かなり形になると思います。今年いきなり優勝は難しいかもしれませんが、来年以降には大いに期待が持てると思います。